子連れで留学!留学する前に考えるべき9つのポイントとは?
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こんにちは!
英会話ハイウェイ運営者のアキラです。
今日は、子連れでの留学についてお話しします。
留学といえば、高校を卒業した直後や、大学在学中にすることが多いですよね。
しかも、ほぼ全員が一人で留学すると思います。
私の場合は、大学を卒業してからアルバイトでお金を貯めて、それから留学しました。
当然、独身でした。
だから、「子供連れで留学した」なんて話を聞いたら、
「えっ、子連れで留学なんてできるの?」
「自分が学校に行っている間、子供はどうするの?」
「旦那さんは、どうしたの?」
と、いろんな疑問が出てきますよね。
そこで今日は、実際に子供連れで留学を経験したクミさんにお話を聞きました。
そして36歳のときに、子連れで2度目の留学をしました。
現在はアメリカ人の夫と結婚し、アメリカで暮らすようになって20年になります。
それでは、どのような経緯で親子で留学することになったのか?子連れで留学して楽しかったことや困ったことなど、お聞かせください。
目次
子連れ留学は単身留学とは一味違う!
子供を連れて留学すると、一人で留学するに比べたら大変なことが多いと思います。
私は単身での留学と子連れでの留学の両方を経験しましたが、間違いなく子連れ留学の方が大変でした。
でも、親子で留学すると、楽しいことが苦しいことの何倍もありました!
どんな楽しいことがあったか、いくつか具体的にお話ししますね。
アパートのプールで遊び放題
留学といえばホームステイをする人が多いと思うのですが、私は子供連れなのでアパートを借りました。
アメリカのほとんどのアパートには、プールやジムがあります。
そして、アパートのプールはいつでも自由に使えるので、夏は毎日、プール三昧です。
わざわざ、どこかのプールに行かなくても、まるで自分の家の庭に立派なプールがあるように、気楽に朝から夜までプールを楽しめます。
しかも、ただプールで泳ぐだけではありません。
プールでは、日頃はなかなか会うことのないアパートの住人たちと、気楽に挨拶をしたり交流を深めたりできました。
自然の動物と触れ放題
私と娘が住んでいたのは、東海岸にある住宅街でした。
アパートの近くには州立公園があり、湖まで散歩やサイクリングができるコースもありました。
そして、野生のカルガモの親子、リス、アライグマ、鹿などを間近に見ることができました。
夜にはホタルがキラキラ飛んでいて、初めてホタルが光りながら飛んでいる光景を見たときは本当に感動しました。
日本の都会で育った私たちにとって、自宅の近くで自然の動物たちを見られることが、とても新鮮だったんです。
本場のイベントを経験
イースター※やハロウィン、クリスマスは、今では日本でも定番のイベントですよね。
※イースター(復活祭)は、十字架で死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念するキリスト教の祭り。
参考)Wikipedia
これらのイベントは、日本ではお祭りみたいなものですが、アメリカでは日本とは異なり、とても宗教的なイベントです。
イースターでは、色付けした卵 (中にお菓子などが入っている)を探すエッグハントをしましたし、ハロウィンのときには、近所の家にお菓子をもらいに行きました。
ハロウィンでは、大学の教授も仮装するんですよ。
クリスマスの時期には、室内にクリスマスツリーを飾るだけでなく、アパートのベランダやドアなどにも飾り付けをしました。
庭などにスゴいデコレーションをしている家も多いので、それを見に行くのも楽しみでした。
こんなふうに、アメリカでは子供たちと一緒に、大人たちもイベントを楽しむということを学びました。
最初は一人で渡米!
私が子連れで留学したのは、今からもう20年も前のことです。
独身のときにアメリカのコミュニティーカレッジに留学したことがあり、「いつか4年生大学でBA (学士号 = Bachelor of Arts) を取りたい」というのが夢でした。
当時の日本では、妻は家で子供の面倒を見て、夫の帰りを待つのが当たり前とまだ言われていました。
でも、どうしてもそれが納得できずに、夫と離婚してアメリカに行くことにしました。
そのとき私は36歳で、娘は11歳。
小学5年生でした。
留学することを決めた私は、娘に「ママはアメリカでもっと勉強したいけど、ママと一緒にアメリカに行く?それともパパと一緒に日本にいる?」と聞きました。
すると、娘は「パパの所に行く」と言いました。
てっきり私と一緒にアメリカに行きたいものだと思っていたので、想定外の娘の答えに驚きました。
結局、娘の希望どおり、娘は元夫と暮らすことになり、私は一人でワシントンDC近郊の大学に8月の秋学期に編入留学しました。
大学での専攻は、教育と福祉関係です。
学生のほとんどは20歳前後の若い人達で、日本人の中年おばさんは私だけでした。
次は娘と一緒に渡米!!
最初の学期が終了する頃、やっとアメリカでの生活や大学に慣れてきました。
次の学期が始まるまで1か月以上もある冬休みに入った私は、日本に一時帰国することにしました。
このとき、父のいる実家に帰り、娘も遊びに来ました。
そのとき、急に娘が「ママとアメリカに行きたい!」と言いました。
「どうしたの?何かあったの?」と娘に聞くと、娘は「パパはいつも仕事が忙しくてほとんど家にいないし、おばあちゃん と おじいちゃん だけだし、転校先には友達もいないし・・・」と話し始めました。
転校した学校で嫌がらせをされたことも聞き、とても驚きました。
娘がそんなことになっているなんて考えもしていなかったので、涙が止まりませんでした。
このとき、なぜだか留学を辞めることはまったく考えず、「私がアメリカに戻るときに、何としてもこの子を一緒に連れて行こう」と思いました。
それから、準備のための目まぐるしい日々と苦労と、それでいて楽しい子連れ留学が始まりました。
母子手帳と娘の修学年の証明書だけで行くことに・・・
娘をアメリカに連れて行くには、娘のためにビザを取る必要がありました。
私は学生ビザ(F-1ビザ)を取得していたので、娘はその子供ということで、学生ビザ所持者の家族ビザ(F-2ビザ)が必要でした
アメリカ大使館は、日本とアメリカの両方の祝祭日に休館します。
だから、年末年始の在日アメリカ大使館のビザ申請日はかなり限られていました。
当時は、今のような予約制ではなく、大使館で待ち行列に並んで審査を受けるものでした。
早朝から列に並んで、年明けに娘のF-2ビザをもらうことができました。
しかし、ビザは取ったものの、もともと子供のことを考えずに単身で留学をしていたので、子供の通う学校のことなど、アメリカの小学校についての知識も情報もまったくありませんでした。
そこで、まずは情報収集から始めました。
でも、残念なことに、インターネットで見つかるのは一般的な情報だけで、それ以上の情報は、日本では手に入れることができませんでした。
子連れで留学する人はあまりいないので、情報があまりなかったんですね。
「まだまだ調べる必要のあることが山積みなのに、アメリカに戻る日までにはもう時間がない・・・」
気持ちがあせるばかりで、すべての行動が空回りしているように思えました。
そんなとき、私が困り果てているとは想像もしない娘は、父と楽しく笑いながら「ママとアメリカに行くのが楽しみ!」と話していました。
そうこうしているうちに、数日後には、アメリカに戻る日が迫っていました。
娘の航空券を買わなければ間に合わなくなってしまいます。
でも、結局、準備を完璧に終えることができないまま、母子手帳と娘の修学年の証明書のみを持って渡米しました。
娘は飛行機の中で「ママ、これからアメリカで楽しいよね」と言いました。
私は「うん、楽しいよ・・・」と答えました。
まだ娘の留学準備はできていませんでしたが、涙が溢れそうで、それ以上のことを娘に言えませんでした。
子供の世話と大学を両立させるのは大変!!!
アメリカの公立学校は、8月中旬に始まり翌年の6月中旬に終わります。
娘は、日本では小学5年生の3学期を迎える時期でしたが、生年月日などの理由から1学年下の学年と判断されました。
幸い、近くに小学校があったのはとても助かりましたが、学校で日本人は娘1人で、周りに日本人家族もいませんでした。
完全に孤立した状態です。
また、日本なら、11歳なら1人で留守番ができると考えますが、アメリカでは13歳以下の子供を1人で留守番させることは児童虐待になります。
娘に留守番をさせておいて私は学校で勉強する、ということはできないのです。
どうすればいいか決まらないまま大学の授業が始まる日が近づいてきて、心配と不安の毎日でした。
娘の入学に際して、最後の難関は、娘の予防接種でした。
予防接種の日時はかなり厳しく決められており、その日は私の大学の春学期が始まる日でもありました。
予防接種も私の授業も日程を変えることはできないので、娘を予防接種に連れて行ってから学校に行くしかありません。
できるだけテキパキと予防接種を済ませて大学に行きたかったのですが、お役所仕事のせいか予想以上に長い時間待たされて、普段は気の長い方の私も、このときばかりは怒りが爆発しそうになりました。
大学の授業が始まる時間が迫っていて、思わず我を見失って受付の人に声を荒げてしまったほどです。
どうしてそんなにいら立ったかと言うと、アメリカの大学では、出席率が全体評価の70%をしめるほどに重要なのです。
だから、娘の面倒を見るために授業を休んでいたのでは、とても卒業などできません。
初日から授業に遅れそうになるなんて、「もし娘が急病にでもなったら、どうなるだろう?」と、とても不安になりました。
とはいっても、悩んでばかりいても仕方ありません。
担当の教授に理由を説明して授業を休んだり、欠席した授業の分を特別に別の方法で対応してもらったりしました。
こうしたことに理解のある教授だったので助かりました。
また、こうしたトラブルを少しでも避けるために、私の授業のスケジュールを娘の学校の時間に合わせるように組み直しました。
でも、スケジュール調整には限界があったので、私が大学に行っているときは、娘は小学校に併設されている学童保育のような所に夕方までいました。
学童保育が終わった後に、どうしても受けなければいけない夜の授業があるときは、娘を授業に連れて行ったこともあります。
娘は娘で、学校の授業に苦戦していました。
最初の半年間くらいは、毎日、娘の宿題をすべて私が日本語に翻訳して書き出し、それに娘が答えていました。
日本語なら自分で宿題をできるのですが、英語が分からないので問題の意味が分からなかったのです。
たとえば、算数の宿題では、数字だけの計算問題は、娘は問題なく簡単に解いていました。
でも、「Aさんがお店に行っていくら払って・・・」みたいな文章問題は、娘にはその問題の意味を理解できないので、解答することができませんでした。
この頃、娘は「英語が分からないのが一番辛い」と言っていました。
私の大学の勉強は、娘が寝てから夜中にしていました。
自分の勉強と子供の勉強の両方をするのは大変でした。
でも、心強かったのは、同じアパートや近所に住む娘のクラスメイトのご家庭などが娘を預かってくれたことです。
このとき、自分1人ではできないこともあると割り切り、頼める人にお願いすることも必要であることを改めて自覚しました。
子連れ留学をしてよかったこと
18歳のときに単身で留学したときと、36歳になってから単身で留学をしたときでは、留学自体がかなり異なりました。
まして、子連れで留学することで、単身の留学では経験できないことを何倍も経験できました。
もちろん、苦労はたくさんあったけど、子供と向き合って子供との時間をとても大切にすることができ、親子の絆(きずな)が強くなったと思っています。
娘は、私よりも英語が上手くなってしまい、ネイティブスピーカーと間違われるほどになってしまいました。
私としては悔しいけど、でも嬉しい悔しさです(笑)。
娘はもう成人しました。
成人した後で、友人達から「貴重な経験をしたね」と言われそうです。
そのとき娘が言った「ママとアメリカで暮らしたことがありがたいと思える」という言葉は、今もずっと私の宝です。
留学する前に考えるべき9つのポイント
子連れでの留学は、単身での留学とは違い「留学したい」という気持ちだけでは実現できません。
一緒に行く子供の将来にも影響するので、思いつきで留学するわけにはいかないのです。
留学したい気持ちをより確実なものにするために、下記について考えてみてください。
- なぜ留学するのか?
- 留学期間はどのくらいか?
- 資金は十分あるのか?
- 留学先はどこにするのか?
- 子供の就学はどうなるのか?
- 一週間 (最低) の自分の生活と子供の生活パターンはどうなるのか?
- 近くに子供をお願いできる人や場所があるか? *特に緊急時は死活問題
- 最終的に子連れ留学をどういうものにしたいのか?
- 帰国後に子供はどうなるのか? 子供はどうしたいのか?
自分の勉強やキャリアアップだけを考えていては、自分だけが満足する留学になってしまい、子供にとっては海外旅行の延長になってしまいます。
親子が満足できる留学にするためには、上記について十分に考え計画する必要があります。
留学先で子供の味方はあなただけ
子連れ留学は、99%は親の意思と希望で始まります。
子供は、本人の意思に関係なく、親の都合で外国に連れて行かれる立場にあります。
そして留学すると、生活環境がそれまでとは一変します。
その急激な環境の変化について、事前に親子で話す機会を持つことが大切です。
子供にとって、異国で暮らすときに唯一の味方はあなただけなのです。
そうして実現した留学が「成功」か「失敗」かは、すぐには出ないと思います。
留学を終えて数年経った後に、現状を見つめながら当時のことを振り返り、「ああ、留学してよかったな」と感じるものだと思います。
今、親子で留学しようかどうか悩んでいるなら、1人だけで悶々と悩むのではなく、分からないことを調べたり、情報収集したり、日本に居てできることから少しずつ始めてみましょう。
あなたとあなたのお子さんだけの楽しい子連れ留学が必ず実現するはずです。